①麻賀多神社神官太田家系図

※下記参考資料を元に、管理者が作成したものです。また、赤字の西暦は、解りやすいように私が付け加えたものです。なお、敏達天皇以前は様々な資料において不整合があり西暦の特定は難しく、空白にしてあります。

上記は、太田家所蔵のものですが、系図資料としてはこれとは出典を異にする「多氏系図」、「印波国造系図」などがありますので順次掲載したいと思っています。

②多氏系図

 

次は「多氏系図」です。宝賀寿男『古代氏族系譜集成』から抜粋したものです。(傍注は、一部省略してあります。省略した中にも重要なものがあると思いますので、出来れば自ら原本を御覧になる事をお勧めします。また、☆印は便宜上私が加えたものです。)

系図の建借馬命黒坂命『常陸国風土記』の中で、夷族の平定譚のある人物です。系図では印波国造伊都許利命の祖父となっています。黒坂命は建借馬命の弟と言われているようですので、大叔父となります。『常陸国風土記』と印波国との関係において、常に引き合いに出されるのは、行方郡の条にある景行天皇の鳥見の丘の逸話ですが、んその他に注目すべき関係が隠されている事は何故かほとんど言及されませんそれは上記のような系図の問題なのですが、系図というのは信憑性が薄いと思われがちであり、参考とするにはその系図の評価から始めなければならない煩雑さがあるからでしょうか?

私は、系図上の血縁関係が真実かどうかよりも、「その様な系図が存在すること」自体に意味があると考えますので、積極的に活用しています。明らかにこれは無理があるのではないかと思える事項さえ、「では、何故このような記載があるのか」と考えることで、何らかの糸口になるのではないかと思うので、それらを全く排除してしまうことは損失と考えます。

このページでは2,3の系図を掲載していますが、「麻賀多神社宮司太田家系図」以外は、宝賀寿男著の『古代氏族系譜集成』を参考にしました。これは、著作中で系譜学史上の巨人と表現されている江戸時代後期の鈴木眞年の業績にその他の系譜文献を合わせた集成です。著者はその中で、「全体を通してみれば、古代氏族の系図は相当信頼性がおけると考えられる。」「殆ど全てが偽造の系図もあまり意味がないので例が少なく…」としています。

印波と常陸国の関係については、別項を設ける予定ですが、成田史教育委員会発行『成田史談 62号』に拙文を載せています。機会があれば、ご参考にして下さい。