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龍角寺古墳群は、印旛沼の東岸、千葉県栄町と成田市にまたがる古墳群です。現在大部分が房総風土記の丘のエリアに含まれています。本格的な調査結果が呈示されたのは昭和36年の『印旛・手賀周辺地域埋蔵文化財調査』で、その中では現在の「龍角寺古墳群」にあたる地域は「栄町古墳群」と表現されています。表記に関しては、比較的古い資料では「竜角寺古墳群」とされ、周辺の地名では「角寺」と「角寺台」の双方があり、関連する寺院は「角寺」で大変ややこしいのですが、現在は「龍角寺古墳群」と書かれる事が多いようです。2009年(平成21年)に国の史跡に含まれた際の名称が『龍角寺古墳群・岩屋古墳』だったためと思われます。

古墳の数は現在114基と言われています(古墳の内訳は前方後円墳37、方墳6、円墳71)。言われています…というのは、この地域は中近世の塚が非常に多く、調査の結果これまで古墳とされていたものが、塚と見なされるということもあり、全部の古墳が発掘調査されたわけではないことから、今後も数の増減の可能性があるからです。実際、118基、124基とされていた時期もあったようです。また、方墳6基のうち2基は調査されていないものの、4基は7世紀以降の築造であることから、終末期になるまで方墳は築造されていないと言えそうです。これは、近隣の公津原古墳群に方墳が多い様相とは対照的なものです。

築造時期は古墳時代後期から終末期であり、前期、中期のものは、発見されていません。最も古いものが101号墳6世紀初頭と言われています。101号墳は3つの主体部を持ち、最初の築造から長きに渡って追葬が行われ、多くの人物埴輪が出土しました。現在復元古墳として、築造当時のように埴輪が樹立され、風土記の丘の南西の端に見ることが出来ます。また、出土した埴輪のレプリカが、風土記の丘資料館内に展示されて、間近で見ることが出来ます。

 

1978年刊行の、『房総風土記の丘年報 2』所収の「千葉県印旛郡竜角寺古墳群研究小史」で、甘粕健氏の研究について簡単に触れていますので、一部を紹介したいと思います。昭和39年の「前方後円墳の性格に関する一考察」(『日本考古学の諸問題』河出書房所収)の内容です。その後の研究により、訂正される部分もあるのかとは思いますが、次の二点は興味を引かれます。①前方後円墳の平面構成から類型を抽出して天皇陵を含む他の前方後円墳と比較。②前方後円墳の主軸方向によるグルーピングを行い、13の支群を設定し、各支群は13の小集団の反映だとした。※時期により古墳の数の変動があるため、論文や資料によって古墳番号が違っているようなので要注意です。

 

龍角寺古墳群には、岩屋古墳(方墳)及び浅間山古墳(前方後円墳)という重要な古墳が含まれます。岩屋古墳は7世紀半ばから後半の築造とされ、この時期の方墳としては全国で最大です。また、浅間山古墳の築造は前方後円墳の造られる最後の時期にあたり、後続の岩屋古墳を始めとする一連の方墳や、至近に位置する古代寺院・龍角寺との関連において、重要なポイントとなるものです。時期的な順序としては、浅間山古墳➡岩屋古墳➡龍角寺及びその他の方墳とされています。

龍角寺古墳群の一連の方墳に特徴的なのは、石室の石材に貝化石含有石を用いていることです。これは、栄町からも近い印西市木下で産出されるものです。浅間山古墳にはこれらは使われておらず、絹雲母片岩(筑波石)のみが用いられ、岩屋古墳には貝化石含有石、筑波石、軟質砂岩の3種類の石材が用いられていることが注目されます。

木下貝層は、千葉県の天然記念物に指定され、現在「木下万葉公園」内で見ることが出来ます。ただ木下貝層の所在する印西市では、同じ貝化石含有石でも岩屋古墳等のものとは種類の違う“チョコレート色貝印象化石岩”という石材を用いたものが幾つか発見されており、施設はいずれも箱式石棺です。別の採掘場があったのではないかと言われていますが、この石材を用いた古墳(円墳)が龍角寺古墳群でも一基見つかっているそうです。この二種類の石材の使い分けは何を意味するのでしょうか?また、龍角寺古墳群の貝化石含有石を用いた古墳の埋葬施設は、皆横穴式石室であることも注目されるところです。ここにも、厳然たる区別の存在することが伺えるのではないでしょうか。

  《参考》

※印西市のチョコレート色岩石使用の古墳→松山2号墳、森内古墳、宮田古墳            

※白井市のチョコレート色岩石使用の古墳→平塚遺跡(平塚鳥見神社境内)、平塚海老内台遺跡など

 

また特記事項としては、少々離れた八千代市沖塚でも貝化石含有石使用の古墳が見つかっています。

上記のように龍角寺古墳群は、他の地域との関係についても検討が必要です。特に、南側約3キロという至近に所在する公津原古墳群は重要となります。現在、双方ともに印波国造に関連する墓域であろうと言われていますが、それらのことや、岩屋古墳及び浅間山古墳については、個々に項目を設けたいと思っています。

 

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印西市木下万葉公園
木下貝層・貝化石含有石

  貝化石含有石

松山2号墳石棺・チョコレート色貝印象化石岩

チョコレート色貝印象化石岩

(最終編集日 2017.9月)

 

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